つくぶすま68の備忘ログ ホーム »2016年09月
2016年09月の記事一覧

パッカイ ペ  

前回の続き。
昨年2015年夏の北海道オートバイツーリングの話である。

ツーリング4日目、0900時すぎに野寒布岬を出発、海岸線沿いを走る道道254号線を南下していった。
終点で道道106号線と合流し、引き続き海岸線沿いを南下する。

空が晴れてきた。もしかすると本日は最高のツーリング日和になるかもしれない。

途中、道道106号線から離れて抜海駅へ寄り道。
JR宗谷本線のこの駅は日本最北の無人駅である。

抜海駅2015-1

映画やテレビドラマのロケ地として使われているらしい。
古い木造駅舎で昭和の雰囲気を色濃く残している。
この駅の魅力は「何もない」ということである。
小さい田舎の無人駅というものに以前から惹かれるものがあり、各地の駅をツーリングの際はよく訪れている。

この駅を訪れたのはそんな雰囲気と地名に惹かれたからである。
「ばっかい」というこの響き。何故か分からないが良い。

語源は前回記事でもお世話になった参考文献の
北道邦彦 「アイヌ語地名で旅する北海道」 朝日新書 2008年 
によると

「Pakkay pe」、「パッカイ ペ」、「子を背負う もの」

という意味らしい。

抜海市街地の南の外れにある子供を背負った様に見える「抜海岩」が由来である。

抜海駅-2

駅の周囲は静かである。誰もいない。
羽虫のたぐいが少々鬱陶しいが、この何もない、市街地にある駅からは考えられない俗世間から離れた雰囲気がとても良い。

0930時すぎ、1台のキャンピングカーがやってきた。
それを機にオートバイに跨がり、道道106号線へ戻って一路南へ走り出した。

抜海駅から走り出す2015

次回へ続く。
ヘイヘイ。


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category: 2015北海道ツーリング

thread: 北海道旅行

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野寒布の行きつけの店  

前回の続き。
昨年2015年夏の北海道オートバイツーリングの話である。

ツーリング4日目。
野寒布(ノシャップ)岬に聳える稚内灯台を眺めた後、観光客がたむろするエリアへ向かって歩いて行った。

ノシャップ2015-2

晴れたら利尻島や礼文島が見えるのだろうが、あいにくの曇り空。
天気のせいもあるだろう。野寒布岬には土産物店や水族館もあるのだが、地方の少々寂れた漁港という雰囲気が漂っている。

ノシャップの漁港2015

野寒布(ノシャップ)の語源は日本本土最東端の納沙布(ノサップ)岬と同じである。

参考文献の
北道邦彦 「アイヌ語地名で旅する北海道」 朝日新書 2008年 
によると

「Not Sam」、「ノ サ」、「岬のそば」という意味である。
本来は岬名ではなく、岬のそばにあったコタン(集落)の名前だったのが岬名になった。
語尾の「プ」は「Sam サ」の語尾の「m」が子音で唇を閉じるだけの音である。
子音の内破音「p」も唇を閉じるだけの音であり和人が正しく聞き取りができずに混同したらしい。

ノシャップ2015-1

しばし海を眺めた後、ある土産物店へ向かった。オートバイを駐めた土産物店である。

建物前にあり歩道に隣接している駐輪場は、屋根はないが広く、歩道への段差を越えるスロープが広く低く緩やかでオートバイライダーのことをよく考えている。
この店は稚内に来たら必ず立ち寄っている店である。
この店だけで土産物が何でも揃うため、土産物屋に度々立ち寄ったりする手間が省けるからである。土産物を考えたり選ぶ時間があったら走っていたい。
土産物を何点か購入し、宅配便で家に送ってもらうように依頼した。

オートバイに跨がり再び走り出す。
海岸線沿いを走る道道254号線を南下していった。

次回へ続く。
ヘイヘイ。

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category: 2015北海道ツーリング

thread: 北の大地へ

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稚内灯台  

前回の続き。
昨年2015年夏の北海道オートバイツーリングの話である。

ツーリング4日目、稚内の朝。
この日もNHKの朝の連続テレビ小説「まれ」を見た後、宿を出発した。

稚内市街地から北西へ向かう。
目指すは野寒布(ノシャップ)岬。稚内の北海岸線は宗谷湾を挟んで2本の岬が突き出ている。
1本は東の最北端の宗谷岬、もう1本は西の野寒布岬である。稚内市街は野寒布岬の根元にある。

15分?ほどで到着。オートバイを置いてまずは灯台へ歩いて向かう。

ここにある稚内灯台は塔高(地上からの高さ、海面からではない)43メートル。
島根県にある出雲日御碕(いずもひのみさき)灯台の43.65メートルに次いで塔高は日本第2位の高さである。
「日本の灯台50選」にも選ばれている。

稚内灯台2015-1

ちなみにこの前日に遠望した宗谷岬灯台も「50選」に入っていて、稚内市からは2基選ばれている。
同じ市町村から複数選ばれているのは他に

・北海道根室市 3基(納沙布岬、花咲、落石岬)
・三重県鳥羽市 2基(神島、菅島)
・三重県志摩市 2基(安乗埼、大王埼)
・福岡県北九州市 2基(部埼、白洲)
・長崎県五島市 2基(大瀬埼、女島)

の5市である。

日本本土最東端の町である根室「市」から3基も選ばれているにも関わらず、自分が住んでいる近畿「地方」からは2基しか選ばれていない。
近畿最北端の経ヶ岬灯台(京都府京丹後市)と近畿最南端、と言うより本州最南端の潮岬灯台(和歌山県串本町)である。
残念である。

以前から灯台には興味があったが、最近はさらに気になりだし灯台に関する色々な本を買っている。
オートバイツーリングのついでに灯台を訪れていたが、灯台巡りをメインにツーリングするのもおもろいかもと思うようになってきた。
近畿の隠れた名灯台を見つけて訪れてみたい。

さて話は野寒布岬に戻る。

稚内灯台2015-2

目の前に聳える稚内灯台は1966年(昭和41)1月、現在地に移転した2代目である。
初代は1900(明治33)12月、岬近くにある現在の自衛隊稚内分屯地内で初点灯した。

高い。此所のようにほとんど垂直に頭を曲げて見上げてしまう灯台というのは案外少ないかもしれない。
灯台が持つ孤高の、そして独特の隠遁者めいた雰囲気をしばらく味わった後、観光客がたむろするエリアへ向かって歩いて行った。

次回へ続く。
ヘイヘイ。

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最北端の古事記  

前回の続き。
2015年夏の北海道オートバイツーリング3日目の話である。

稚内駅を後にしてすぐ近くにある、かつて稚内桟橋駅があった北防波堤ドームへ向かう。

稚内港2015

稚内港北ふ頭にそびえるこの防波堤は北海道遺産に指定されている。
1931年(昭和6)から5年をかけて建設された。
世界でも珍しいドーム形状が特徴で、70本の円柱を使い、高さ14メートル、長さ427メートルに及ぶ回廊は古代ローマの建築物を思わせる。

北防波堤ドーム2015-1

実に壮観である。
自分は過去2、3回ほど来ているがやっぱり見とれてしまう。

北防波堤ドーム2015-2

ライダーやチャリダーがドーム内にテントを張り野宿の準備をしていた。ここは野宿の名所でもある。
本来であればここは野宿禁止なのだろうが、このような雨風をしのげるしっかりした建物があるとやっぱり泊まってしまうよなあ。

北防波堤ドーム2015-3

1700時前、ドームを後にして市内の宿へ。

この日の走行距離は327㎞。旭川を出発し、名寄、音威子府、浜頓別、宗谷岬を経由し走ってきた。案外距離があった。

宿に着いてすぐ夕食を取るため歩いて出かける。
面倒なので近くの牛丼屋ですませ、コンビニでビール等を買い、部屋でゆっくり過ごすことにした。

この部屋の備品に「古事記」1冊があった。よく「聖書」が置いてあるのを見かけるが「古事記」は初めてである。
なぜ「古事記」?発行元は「一般財団法人竹田研究財団 古事記普及委員会」という初めて聞く団体である。
このホテルと何か関係あるのだろうか?

稚内の古事記2015

しかし考えてみると「聖書」も「古事記」も同じジャンルの本である。
どちらも創世記である。「聖書」はキリスト教、「古事記」は神道の違いだけである。

異郷の地で改めて自分のルーツを考えるために宿には「聖書」や「古事記」が置かれているのだろうか。

とビールを飲みながらとりとめも無く考えていた。

飲んでいたのはサッポロ黒ラベルの限定醸造品。
オホーツク産、富良野産の大麦麦芽と富良野産ホップを使用した、北海道にこだわったビールらしい。

サッポロ黒ラベル北海道限定2015

早めに就寝し、翌朝0600時頃起床。
バイキング朝食をとった後、部屋でしばらくゆっくりし、この日もNHKの朝の連続テレビ小説「まれ」を見た後、出発した。

次回へ続く。
ヘイヘイ。

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category: 2015北海道ツーリング

thread: 本の紹介

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線路は続かない、ここまでだ  

前回の続き。
2015年夏の北海道オートバイツーリングの話である。

1630時前、日本最北の駅、稚内駅に到着した。

稚内駅2ー2015

駅前再開発によって鉄道駅に道の駅やバスターミナル、みなとオアシスも併設、稚内の交通施設が集約され、2012年に生まれ変わった。

稚内駅3ー2015

駅前広場で目に付くのはこの黄色い物体と地面に表わされた2本の線。

稚内駅2015車止め1

黄色い物体は車止めと付随するレールである。

再開発前の稚内駅(1965年(昭和40)9月~2011年(平成23)4月)の線路は現在よりも北側に延びていた。
日本最北端の線路の象徴としてJR北海道から稚内市へ寄贈された。
当時の記憶を継承するモニュメントとして2012年(平成24)3月に元の位置に復元した。
また、かつてあった稚内桟橋駅(1938年(昭和13)~1945年(昭和20)への線路をこの車止めから北へ延びている線で表わしている

稚内駅2015車止め2

下の写真は2005年6月、オートバイツーリングで稚内駅を訪れた時の車止めである。

稚内駅2005最北端線路

この当時は線路がまだ2本あった。
2010年(平成22)1月末に2番線が廃止され、単線となった。

駅舎内へ入る。
最北端の線路の終点を真正面からガラス越しに見ることが出来る。

最北端の線路2015-1

撮影していたら特急のスーパー宗谷が到着、これも正面から撮影。

最北端の線路2015スーパー宗谷

この後、駅近くのかつて稚内桟橋駅があった北防波堤ドームへ向かう。

次回へ続く。
ヘイヘイ。


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宗谷岬灯台  

前回の続き。
2015年夏の北海道オートバイツーリングの話である。

1530時頃、宗谷丘陵にある旧海軍望楼に到着した。
眼下には最北端の碑が建つ宗谷岬を見下ろすことができる。

そして西を眺めると宗谷岬灯台が建っている。
1885年(明治18)八角形鉄造の初代灯台が点灯した。
しかし1911年(明治44)に野火のため焼失、翌年2代目灯台が再建された。
1954年(昭和29)に大規模な改築工事で現在の姿になった。
四角形のコンクリート造である。

宗谷岬灯台2015

塔高(地上~塔頂)は17メートル、灯火標高(平均海面~灯火)は40メートル。
レンズは第3等小型フレネル式である。

以前から灯台に興味があり何か惹かれるものを感じていて、事ある毎に各地の灯台を訪れていた。
灯台が醸し出す世捨て人のような孤高の雰囲気が好きなのだと思う。しかし見るだけで満足し、灯台のデータ等々深く詳しくは知ろうとはしなかった。

しかし最近なぜか灯台が非常に気になり、灯台に関する本を立て続けに購入。気になり出すと関連本というのはよく目に付くようになるものだ。
本だけでなく、レゴブロックの灯台も購入しなくては、確かここ数年内に発売されていたはずだ、とまで思うようになった。まだ買ってはいないが。

つい先日の8月30日、毎日新聞の「雑記帳」というコラムに灯台の話題が取り上げられていた。

それによると

「ロマンスをテーマに地域活性化を図る日本ロマンチスト協会(本部・長崎県雲仙市)などは、福井県敦賀市の立石岬灯台など全国の灯台20基を「恋する灯台」と認定した。」

らしい。

日本全国3211基の中から、「非日常感」、「物語感」など6項目で評価し決まった。
「恋する灯台」プロジェクトのホームページを確認してみると「未来を照らす灯台が、ふたりの道標になる。」と書かれており、
「恋愛の聖地」として再価値化していくとのこと。
多分あまり無いとは思うが、灯台へ行ってみるとカップルばっかりだったという状況ってなんかイヤだなあ。

話を2015年の宗谷岬に戻す。
灯台を眺めた後、望楼を下りて再びオートバイで走り出した。

稚内市街へ向かう国道238号線

丘陵を下り、再び国道238号線を稚内市街へ。
1630時前、日本最北の駅、稚内駅に到着した。

稚内駅1-2015

続きは次回。
ヘイヘイ。

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宗谷丘陵に続く白い貝殻の道  

前回の続き。
2015年夏の北海道オートバイツーリングの話である。

宗谷岬から再びオートバイに跨がり走り出す。国道238号線を稚内市街方面へ。
目指すは宗谷丘陵の白い貝殻の道である。

相変わらずの曇り空。青い空の下に白い道が続く、という夢のような状況はもう望めないだろう。

宗谷歴史公園に向かう道路へ左折し、宗谷郵便局横の細い坂道を上っていく(うろ覚えである、違うかもしれない)と目的の道が現れた。

宗谷フットパス2015-1

「宗谷フットパス」と名付けられたこの道は3㎞にわたってホタテの貝殻がまかれている。
これにより普通のダート道と比べて排水性と弾力性に優れ、足に優しい道になった。
徒歩はもちろん、自転車やオートバイも走れる道である。

自動車も通れるが離合が困難なのであまりお勧めできない。
途中すれ違った自動車は1台のみ。
歩行者や自転車とはたまにすれ違ったり追い越したり。オートバイは1台も見なかった。

宗谷フットパス2015-3

やはり空は曇ったまま。まあ、仕方がないか。
ゆっくりと味わいながら走る。荒涼とした景色が逆に心を癒やしてくれた。
この道を走れたことに満足して、宗谷丘陵内の道を通り宗谷岬方面へ戻る。

宗谷フットパス2015-2

宗谷丘陵は「周氷河地形」と呼ばれる日本では類を見ない地形である。深く切れ込んだ谷と丘が続く日本離れした風景が続く。
アスファルト舗装の道もゆっくり流しながら走った。

1530時頃、旧海軍望楼に到着した。

旧海軍望楼2015

1902年(明治35)に旧日本海軍が建設したこの建物は当時最強と言われたロシアのバルチック艦隊の動きを監視する重要任務を課せられた。
日露戦争終結と共にその役目を終えたが、その後は無線通信基地、第2次世界大戦中は対潜水艦監視基地として使われた。
稚内市内では珍しく現存する明治時代の建物で、1968年(昭和43)に市の有形文化財に指定された。

旧海軍望楼から宗谷岬を見下ろす2015

望楼に上り、眼下を見下ろすと最北端の碑が見える。続々とライダーが到着し、そして走り去っていく。

そして西の方を眺めるとそこには・・・

次回へ続く。
ヘイヘイ。

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2015年夏の最北端ライダー  

前回の続き。
昨年2015年夏の北海道オートバイツーリングの話である。

道の駅「さるふつ公園」で昼食を取った後、再び国道238号を北上し、日本最北端の宗谷岬を目指した。

宗谷岬へ向かう国道238号線2015

曇っている上に霧も若干たちこめているので涼しい、と言うより寒い。
途中、ジャケットの下にアウトドア用のジップシャツを1枚着て再び走り出す。

最北端のライダーたち12015

そして1400時過ぎ、宗谷岬に到着した。ライダーもかなりいる。

最北端のライダーたち22015

「最北端の碑」へ歩いて行く途中に間宮林蔵の銅像が立っていた。宗谷海峡を挟んだサハリン島(樺太)を睨んでいる。

間宮林蔵銅像215

間宮林蔵(1780~1844)は江戸時代後期の御庭番、つまりスパイであり、探検家でもある。
サハリンと大陸の間に海峡を発見し、当時島か半島かわからなかったサハリンが島であることを証明した。
ちなみに林蔵はオランダ商館付きの医師であったシーボルトが日本地図を国外へ持ち出そうとした事件、いわゆる「シーボルト事件」の密告者としても知られている。

その間宮林蔵の銅像の横を通り、「最北端の碑」へ。

最北端の碑2015

やはり碑と共に記念撮影する人が多い。
自分は遠くから写真を撮り、眺めるだけにした。

土産物店の外壁にある温度計は19.8℃。走っていたら当然涼しいよなあ。

最北端は19.8℃2015

国道を挟んだ別の土産物店で買い物をし、再び道を渡り駐車場へ戻ろうとしたら目の前にオートバイが停車し、ライダーが話しかけてきた。

なんと同じフェリーに乗っていた人であった。
驚いたがこれはよくある事だろう、ライダーの行く先は大抵同じようなところだし。

ただしこの人の場合は少し事情が違う。
このツーリングの3年前、2012年の夏、自分は2回北海道へ行った。7月と8月である。
オートバイツーリングでフェリーに乗って行ったのだが、この2回とも同じフェリーに乗り合わせた人なのだ。

否、この2012年の内1回と2013年の北海道ツーリングの時の2回だったかなあ。
記憶はあやふやになっているが、とにかく今回で3回も同じフェリーだったのは確かである。

これは何かの縁なのか。
しかし綺麗な女性ならともかく、この人は50代の男性。残念である・・・

その人と少し話をして駐車場に戻り、再びオートバイに跨がり走り出す。

目指すは宗谷丘陵にある白い貝殻の道である。

次回へ続く。
ヘイヘイ。

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この道をジョギングするのはちょっと・・・  

前回の続き。
2015年夏の北海道オートバイツーリングの話である。

浜頓別市街を出て国道238号線を稚内方面へ。
しばらくすると右手海側に南宗谷クリーンセンターが見えてくる。そこを越えてすぐ右に海側へ向かう道があり、右折してその道に入っていった。
この道の入り口からは想像し難いかもしれないが、オートバイライダーの間では有名な天国への入り口である。

天国の名前は「猿払村道エサヌカ線」という名前である。
全長8㎞の地平線へ続く直線道路である。視界を遮る障害物が無いため本当に道が直線に走り地平線に消えているのが見られる。

エサヌカ線2015-1

晴れたら最高だったのだが、この日はあいにくの曇り、海霧も若干かかっている。しかし走っているとやっぱり気持ちいい。
少し飛ばしてみたり、風景を眺めながらゆっくり流したり。
すれ違うライダーたちと手を挙げて挨拶を交わす。彼ら、彼女らも気持ちよさそうだ。

2011年に走った時の写真を掲載しておく。
晴れたらほんまに最高でっせ。

エサヌカ線2011-1

しかしこの道を自分の脚で走るのは正直イヤだなあ。
走っても走ってもあまり風景が変わらず、道の先は地平線。ウンザリするかもしれない。
この道を走る「北オホーツク100㎞マラソン」というのがあるらしいが、参加したランナーは気持ち良いのだろうか。

エサヌカ線2015-2

チャリダーも見かけたが、自転車だったら自分でも走れるかもしれない、無風か追い風の条件であればの話だが。

エサヌカ線を走った後は再び、国道238号線に戻り、稚内方面へ。
途中、道の駅「さるふつ公園」で「ほたてカレー」を食べ、日本最北端の宗谷岬を目指した。

次回へ続く。
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4本の旗  

前回の続き。
2015年夏の北海道オートバイツーリングの話である。

NHKの朝の連続テレビ小説「まれ」を観た後、旭川の宿を出た。

国道40号線を通って、三浦綾子の小説で有名な塩狩峠を越え、北へ北へ。
空が晴れてきた。

途中、士別市(だったと思う)のホクレンのガソリンスタンドに寄り給油し、ホクレンフラッグの赤(道央)をゲット。

ホクレンフラッグ2015赤1

黄(道南)、緑(道東)に続いて3本目である。
残りは後1本、青(道北)である。

ホクレンフラッグ2015赤2

名寄の道の駅で休憩し、再び国道40号線を北上。
音威子府の道の駅で再び休憩を取り、ここから西へ向かう40号線と別れて、北上する国道275号線を走る。
この道は天北峠を越えた中頓別町あたりから北東へ転じ、オホーツク海に面した浜頓別町へ向かう。
また曇ってきた。

ちなみに中頓別町は村上春樹の小説の表現をめぐって一騒動が起こった町である。
月刊文藝春秋2013年12月号に掲載された短編小説「ドライブ・マイ・カー」に、中頓別町出身の女性が登場する。
この女性が火のついた煙草を車の窓から捨てる場面で、主人公が「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と思う。
この表現に同町の町議が文藝春秋に抗議したところ、同町に対して批判的な意見が相次いだ。

結局、単行本化された時は架空の町の名前となったのだが、さてこの中頓別とはどんな町だろうか。
立ち止まることもなく通過しただけであるが、印象としては北海道の普通の町であった。
特に煙草の吸い殻が多く落ちていることもなかった。

中頓別を通り過ぎた国道275号線は浜頓別で海沿いを走る国道238号線とT字路で交わる。
238号線をほんの少し枝幸、雄武方面へ行きホクレンのガソリンスタンドで給油し、ホクレンフラッグの青(道北)をゲットした。

ホクレンフラッグ2015青1

これで全4本をコンプリートし、今回のツーリングの目的を一つ果たした。

ホクレンフラッグ2015青2

もう一つの目的、宗谷丘陵にある貝殻を敷いた白い道へ向かうため、稚内方面へ国道238号線を走る。
しばらくすると右手海側に南宗谷クリーンセンターが見えてくる。そこを越えてすぐ右に海側へ向かう道があり、右折してその道に入っていった。

旗4本エサヌカ2015

この道の入り口からは想像し難いかもしれないが、オートバイライダーの間では有名な極楽、天国への入り口なのである。

次回へ続く。
ヘイヘイ。


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防災の日や司馬遼太郎、鉄道廃線の事  

8月30日夕方に台風10号が岩手県に上陸した。
東北地方の太平洋側に台風が上陸したのは、気象庁が1951年に統計を取り始めてから初めてらしい。
東北地方はもちろん、ここ数回にわたって昨年夏のツーリングの記事を書いている北海道も多大な被害が出ている。
被害に遭われた方々へ心よりお見舞い申し上げます。

奇しくも本日は防災の日。
この日は1923年(大正12)9月1日に起きた関東大震災にちなんで制定された。
そして例年9月1日頃は台風の襲来が多いとされる二百十日にあたり、それも念頭に置かれている。
災害への備えを怠らないように改めて考える機会にしたい。


さて話は前回記事の続きに戻る。
2015年夏の北海道オートバイツーリングの話である。

旭川中心部にある宿にチェックイン後、夕食を取るため旭川駅まで歩いて行く。
駅前には巨大なショッピングモールがあり、ここでとんかつ定食を食べる。
普段はしないがご飯をおかわりした。昼食を食べていなかったため非常に腹が減っていたからだ。

食べながら作家の司馬遼太郎のことが頭に浮かんだ。
多分紀行エッセイである「街道をゆく」の中で触れていたと思うのだが(非常にうろ覚えである、違うかもしれない)、
かなり偏食で甲殻類アレルギーだった司馬は外食するのならトンカツが無難だと書いていた。

これには同感である。
自分は食べ物に関して好き嫌いはあまり無いが、メニューを考えたり選んだりするのが非常に面倒である。
とんかつなら当たり外れは多分少ないだろうし、たとえ外れでもとんかつなら自分は何とか食える。
これはカレーライスや牛丼についても言える。

夕食後はホテルに戻り、部屋でビールを呑みブログをアップして就寝。

翌朝0600時頃起床。宿のバイキング朝食を食べ、部屋に戻り各部屋に配布された北海道新聞を読む。

北海道新聞20150812

鹿児島県の川内原発再稼働や北海道新幹線の開業予定日、苫小牧沖で火災を起こしたフェリー船体の室蘭入り、女子サッカー澤選手(当時現役)の結婚等の記事が載っていた。
しかし自分が注目したのは北海道・留萌市議会の記事である。

JR北海道が留萌本線の留萌~増毛(ましけ)間の廃止を留萌市、増毛町に申し入れた事を受けて、留萌市議会は協議会を開き「留萌線検討対策会議」を設置した。
この留萌~増毛間を廃止にすると、将来的には深川までの留萌本線全線廃止論が出てくるかもしれないという危機感があるらしい。
前日の新聞にも廃止云々の報道がされていた。今回、増毛を通る予定だったので目に付いた記事である。

留萌本線の記事の下には根室本線の記事。
「根室本線対策協議会」が富良野市役所で総会を開きJR北海道に対し、芦別、赤平両駅の有人継続や根室本線の現行運行体系の維持を求めた事が載っていた。
この協議会は1981年の石勝線の開通によって札幌と道東を結ぶ特急が根室本線を通らなくなることの対策として滝川、赤平、芦別、富良野の4市と南富良野の1町で結成された。
総会が開かれたのは9年ぶりらしい。

旭川市街20150812-1

新聞を読んだ後、テレビのニュースを見ながら出発準備をした。天気は曇り。今日も雨に遭うかもしれない。
NHKの朝の連続テレビ小説「まれ」を観た後、北へ向けて出発した。

旭川市街20150812-2

次回へ続く。
ヘイヘイ。

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